第3回で残った i、第2回・第6回の α ── その二つが、ここで一本につながる
第3回で、シュレディンガー方程式には虚数単位 \(i\) が残りました。\(c\to\infty\) で相対論が消えても、\(i\) だけは消えなかった。この \(i\) は何なのか。よくある答えは「複素数を使うと計算が楽だから」。でも、それでは浅い。この回では、\(i\) の持つ位相の曖昧さを突き詰めると ── 第2回・第6回で主役だった \(\alpha\approx1/137\)、つまり電磁気力そのものが、論理的な必然として生まれてくることを見ます。\(i\)・曖昧さ・\(1/137\) が、一本の線でつながる。20世紀物理で最も深い洞察の一つ、ゲージ原理を、手を動かして体験します。
波動関数 \(\psi\) は複素数で、\(\psi=|\psi|e^{i\theta}\) と大きさ(振幅)と向き(位相 \(\theta\))を持ちます。観測に効くのは確率 \(|\psi|^2\) だけ。だから全体の位相を \(\theta\) だけ回しても ──
確率は寸分変わらない。位相の原点をどこに取るかは、私たちの帳簿の付け方にすぎず、宇宙は気にしない。これは番外編②「単位の取り替えは帳簿の問題」、番外編④「\(\alpha\) 不変なら観測に跡を残さない」で見た、あの跡を残さない曖昧さです。\(i\) の位相は、大域的に回すぶんには、まさにこの無害な曖昧さ。ここまでは「\(i\) は曖昧さ」という直感が、そのまま正しい。
ここで決定的な問いを立てます。位相の原点は「宇宙のどこでも同じ」でなければいけないのか? 私がここで選ぶ原点と、遠くのあなたが選ぶ原点は、独立でいいはず。そこで \(\theta\) を場所ごと・時刻ごとに自由な \(\theta(x)\) にします(局所変換)。すると、方程式に入っている微分が問題を起こす。微分は「隣の点との差」を測る操作だからです。
積の微分(ライプニッツ則)で開く
$$\partial_x\!\left(e^{i\theta(x)}\psi\right) = e^{i\theta(x)}\Big(\partial_x\psi + i\,(\partial_x\theta)\,\psi\Big)$$元の \(\partial_x\psi\) のほかに、\(i(\partial_x\theta)\psi\) という余計な項が出た。\(\theta\) が定数なら \(\partial_x\theta=0\) で消えるが、場所ごとに違う \(\theta(x)\) だと消えない。この項のせいで、局所的に位相を変えると方程式の形が変わってしまう ── つまり物理法則が「私が各点で位相をどう選ぶか」という帳簿に依存してしまう。これは困る。
なぜ困るのか。番外編②④の背骨を思い出してください ── 帳簿の付け方(位相の原点の選び方)を変えても、物理は不変であるべき。大域的にはそれが成り立っていた(STEP 01)。局所的にも成り立たせたい。でも素朴にやると、余計な項 \(i(\partial_x\theta)\) が邪魔をする。どうするか。
方針は一つ。あの余計な項をちょうど打ち消してくれる相棒の場を、方程式に加える。微分 \(\partial_x\) を、補正項つきの新しい微分(共変微分)に置き換えます。
そして、位相を \(\theta(x)\) 回すと同時に、相棒 \(A_x\) もこう連動する、というルールを課す:
$$\theta \to \theta + \theta(x)\ \text{のとき}\quad A_x \to A_x + \partial_x\theta$$すると魔法のように相殺します。局所位相から出た余計な項 \(+i(\partial_x\theta)\) と、相棒 \(A_x\) の変化分 \(-i(\partial_x\theta)\) が、ちょうど打ち消し合う。共変微分 \(D_x\psi\) は、\(\psi\) と同じ位相の回り方をきれいに保つ ── 方程式が、局所的な帳簿の付け替えに対して不変になった。これがゲージ不変性です。
そして、いま導入した相棒 \(A_x\) の正体こそ ── 電磁ポテンシャル。電場も磁場も、この \(A_x\) から出てきます。つまり:
「\(i\) の位相の曖昧さを、各点で独立に選んでよい」と要求した瞬間、それを取りつくろうために、電磁場が論理的必然として現れる。力は、曖昧さを整合させる相棒として、いわば宇宙に要求された。
順序が逆転していることに注目してください。ふつうは「電磁気力があるから電子が動く」と考える。でもゲージ原理では ── 位相の局所的な曖昧さを許したいから、電磁場が要らざるをえない。力が先で曖昧さが後、ではなく、曖昧さが先で力が後。あなたが \(i\) に感じた「曖昧さ」は、この順序で、力の母親だったのです。
STEP 01 で「位相の曖昧さは跡を残さない」と言いました。ところが局所化して電磁場と結びつくと、位相の曖昧さは観測できる跡を残し始める。その最も鮮やかな実例がアハラノフ・ボーム効果です。
電子を二つの経路に分けて、その間に磁束 \(\Phi\)(磁場の束)を閉じ込める。驚くべきことに、電子が通る道には磁場がゼロでも、囲んだ磁束 \(\Phi\) が二経路の位相差を生み、電子の干渉縞をずらす。位相差は、相棒 \(A\) の一周積分で決まります。
下の図で、囲む磁束 \(\Phi\)(磁束量子 \(\Phi_0\) を単位に)を動かしてみてください。磁場ゼロの領域を通っているのに、干渉縞が横にずれていく。\(\Phi/\Phi_0\) が1増えるごとに、縞はちょうど1本ぶんずれて元に戻る ── 位相の曖昧さが、観測できる物理として顔を出す瞬間です。
相棒 \(A\) が波動関数とどれくらい強く結びつくか ── その結合の強さが、電気の量 \(e\)、無次元にすれば第2回の \(\alpha\) です。
第2回で「\(\alpha\) は原子の中に隠れた1/137」、第6回で「\(\alpha\) は見る細かさで走る」とやりました。この回はその手前 ── \(\alpha\) が、そもそもどこから来るかに答えます。\(i\) の位相の局所的曖昧さを整合させる、相棒 \(A\) の結合の強さ。\(i\)・曖昧さ・1/137 が、ゲージ原理という一本の論理でつながった。あなたが「\(i\) は曖昧さでは?」と感じた直感の、最も深い着地点がこれです。
さらに第6回の「三つの力が一点で出会う」も、この延長にあります。位相の曖昧さは1種類(円周上の回転)でしたが、もっと複雑な「内部の向きの曖昧さ」(球面上の回転のような)を局所化すると、まったく同じ論理で弱い力・強い力が生まれる。三つの力はすべて「何らかの内部的な曖昧さの局所化」から出ている ── 第6回で「走る力が三つ」と言った三つは、三種類の曖昧さの局所化だったのです。この回は、第6回の土台そのものでした。
ここまでは確立した標準物理(ゲージ原理)です。では、このシリーズの \(c\cdot t=\text{一定}\) と結びつくとどうか。位相の回転速度は \(E/\hbar\) で決まり、その比が \(\alpha\)。もし「\(c\cdot t=\text{一定}\) のクロックダウンが、\(i\) の位相回転を通じて \(\alpha\) を時代とともに走らせる」と読むと ── 第7回で裁いた通り、\(\alpha\) が観測可能なほど走れば原子時計(\(\dot\alpha/\alpha<10^{-19}\)/年)とBBNが即座に棄却する(番外編③のVSLの罠)。
だから正しい位置づけはこう:ゲージ原理は\(\alpha\) を「生む」論理としては完全に正しく、観測にも跡を残す(アハラノフ・ボーム)。でも \(c\cdot t=\text{一定}\) で\(\alpha\) を「走らせる」主張にすると棄却される。\(c\cdot t=\text{一定}\) は \(\alpha\) 不変のゲージとして読むぶんには、この \(i\) の位相構造に一切触れない ── 番外編④の等価条件の通りです。
波動関数の位相 \(i\theta\) は、全体で回すぶんには観測に跡を残さない曖昧さ(STEP 01)。でも「各点で独立に選んでよい」と局所化すると、微分から余計な項 \(i(\partial_x\theta)\) が出て方程式が壊れる(STEP 02)。それを打ち消す相棒 \(A\) を要求すると ── 電磁場が論理的必然として現れる(STEP 03、ゲージ原理)。力は、曖昧さを整合させるために宇宙に要求された。
その曖昧さは、局所化されると観測に跡を残す(STEP 04、アハラノフ・ボーム)。そして相棒 \(A\) の結合の強さが \(\alpha\approx1/137\)(STEP 05) ── 第2回・第6回の \(\alpha\) の起源。同じ論理で三つの力すべてが「内部的な曖昧さの局所化」から生まれる。\(i\) の曖昧さが先、力が後。あなたが \(i\) に見た曖昧さは、局所化という一歩で、電磁気力とその強さ \(1/137\) の母親でした。ただし \(c\cdot t=\text{一定}\) で \(\alpha\) を走らせると第7回に棄却 ── 生むのは論理、走らせるのは禁物。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで磁束を動かすと、干渉縞がずれます。「答えを見る」で解答が開きます。