わかる宇宙論第 7 回 / シリーズの主張を、実データで裁く

第6回で予告した崩壊の話 ── ただし陽子ではなく、実際に壊れる中性子で。ここでモデルに判決が下る

中性子は、正直な証人 陽子崩壊は 10³⁴ 年の彼方で「確率だから見つからない」と逃げられた。
でも中性子は 880 秒で本当に壊れる ── そして 138 億年前の実験結果(ヘリウム量)が、シリーズの主張に判決を下す。

必要な道具:番外編③④の等価条件、5乗のスケーリング、対数 Γ ∝ Q⁵ / c·t = 一定

第6回で「陽子は崩壊するか」を扱いました。でも陽子の寿命は \(10^{34}\) 年 ── 宇宙年齢の \(10^{24}\) 倍で、実験室でいくら待っても「確率だから見つからない」で済んでしまう。検証にならない。ところが中性子は違います。自由な中性子は、たった約880秒(15分)で本当に崩壊する。そしてこの崩壊は、宇宙が生まれて数分後の「元素合成(BBN)」で、ヘリウムの量を決めた。つまり中性子崩壊は、138億年前の宇宙で実際に走った実験で、その結果(ヘリウム量)が今も観測できる。この回では、その実データを使って ── これまでのシリーズがずっと言ってきた「\(c\) を額面で動かすと死ぬ、\(\alpha\) 不変のゲージなら生きる」という主張に、数字で判決を下します

01中性子崩壊は「差の5乗」で効く ── だから増幅器になる

中性子は、陽子・電子・反ニュートリノに崩壊します(\(n\to p+e^-+\bar\nu\))。ここで崩壊の速さを決めるのは、中性子の全質量エネルギー \(m_nc^2\approx939\) MeV ではありません。効くのは、中性子と(陽子+電子)の質量エネルギーの差、たった \(Q\approx0.782\) MeV だけ。しかも ── サージェント則という関係で、崩壊率はこの差の5乗で効きます。

サージェント則 ── 崩壊率は差 Q の5乗
$$\Gamma \propto Q^5,\qquad Q=(m_n-m_p-m_e)c^2\approx 0.782\ \text{MeV}$$ $$\Rightarrow\quad \tau_n \propto \frac{1}{Q^5},\qquad \frac{\Delta\tau_n}{\tau_n} = -5\,\frac{\Delta Q}{Q}$$

これが決定的です。第6回・番外編④で「効くのは全質量ではなく無次元の比」と何度も言いました。中性子でも同じ ── 効くのは全質量 \(m_nc^2\) ではなく、微小な差 \(Q\)(全質量のわずか0.08%)。そしてこの \(Q\) が1%ずれれば、5乗が効いて寿命は5%動く。中性子は「\(Q\) のわずかな変化を5倍に増幅して寿命に映す」天然の増幅器なのです。第7回の主役は、この5乗の増幅です。

陽子崩壊との違い ── なぜ中性子が「証人」になれるか 陽子崩壊(第6回)は寿命が \(10^{34}\) 年、宇宙年齢の \(10^{24}\) 倍。だから「まだ壊れていない」は「確率的にまだ順番が来ていない」で説明でき、モデルを裁けない。中性子崩壊は880秒で、しかもBBNで宇宙のヘリウム量を実際に決めた ── 結果が観測に残っている実験。だから中性子は、モデルに「有罪か無罪か」を言い渡せる、シリーズで初めての正直な証人になれます。

02138億年前の実験 ── ヘリウム量が中性子寿命を縛る

宇宙が生まれて約1〜3分のころ、温度が下がって陽子と中性子から軽い原子核が作られました(ビッグバン元素合成、BBN)。このとき中性子がどれだけ速く崩壊するかで、宇宙に残るヘリウムの量が決まる。中性子が速く壊れれば、ヘリウムになる前に減ってヘリウムが少なくなる。遅ければヘリウムが増える。だからヘリウム量 \(Y_p\)(質量比、観測では約 \(0.245\))は、初期宇宙での中性子寿命の直接の記録なのです。

感度は実際に数字で分かっています。中性子寿命が5秒ずれると、ヘリウム量は \(0.001\) 変わる。観測の不確かさ幅は \(\sigma(Y_p)\approx0.003\) 程度。ここから、初期宇宙で許される中性子寿命の幅を逆算できます。

やってみよう ── ヘリウム観測が中性子寿命に許す幅

感度(実測)

$$\Delta\tau_n = 5\ \text{秒}\ \Rightarrow\ \Delta Y_p = 0.0010\qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\Delta Y_p}{\Delta\tau_n}\approx 2\times10^{-4}\,/\text{秒}$$

観測幅から許容される寿命のズレ

$$\Delta\tau_n^{\text{許容}} = \frac{\sigma(Y_p)}{\Delta Y_p/\Delta\tau_n} = \frac{0.003}{2\times10^{-4}/\text{秒}} \approx 15\ \text{秒}$$

つまり ── 初期宇宙(138億年前)の中性子寿命は、今の値 \(\tau_n\approx880\) 秒と \(\pm15\) 秒以内、割合で \(\Delta\tau_n/\tau_n\lesssim1.7\%\) 以内で一致していなければならない。文献が「BBNから好ましい中性子寿命 \(870\pm16\) 秒」と実験室の値と整合させているのも、この窓の中の話です。

03寿命の窓を、Q の窓に翻訳する ── 5乗が窓を狭める

ここで STEP 01 の5乗を使います。寿命の窓 \(|\Delta\tau_n/\tau_n|\lesssim1.7\%\) を、\(Q\) の窓に押し戻すと ── \(\Delta\tau_n/\tau_n=-5\,\Delta Q/Q\) なので、5倍の増幅が逆に効いて窓を1/5に狭めます

BBNが Q に許す窓
$$\left|\frac{\Delta Q}{Q}\right| \lesssim \frac{1.7\%}{5} \approx 0.34\%$$

つまりBBNは、初期宇宙の \(Q\)(中性子と陽子+電子の質量エネルギー差 0.782 MeV)が、今の値と 0.3〜0.4% 以内で一致することを要求する。5乗の増幅は、崩壊の検出感度を上げるだけでなく、制約の厳しさも5倍にする。下の図で、この窓を実際に動かしてみましょう。\(Q\) をずらすと、5乗で寿命が動き、ヘリウム量が観測窓を出入りします。

図:Q のズレ(横スライダー)→ Sargent の5乗で中性子寿命 τ_n が動く → ヘリウム量 Y_p が観測窓(緑帯)を出入りする
予言されるヘリウム量 Y_p 観測が許す窓(Y_p = 0.245 ± 0.003)
◇ ◇ ◇

04判決 ── c·t=一定 を積分すると、窓を1万倍突き破る

いよいよ、シリーズの主張 \(c\cdot t=\text{一定}\) を、この窓にかけます。あなたのモデルの核は \(c(t)\cdot t=\text{一定}\)、つまり \(c(t)=k/t\)。時間微分すると \(\dot c/c=-1/t\)。BBN期(\(t_{\text{BBN}}\approx100\) 秒)から今(\(t_0\approx4.4\times10^{17}\) 秒)まで積分します。

やってみよう ── クロックダウンの総変化を積分する

c の総変化(対数で出る)

$$\int_{t_{\text{BBN}}}^{t_0}\frac{\dot c}{c}\,dt = -\int_{t_{\text{BBN}}}^{t_0}\frac{dt}{t} = -\ln\frac{t_0}{t_{\text{BBN}}}$$

数字を入れる

$$\frac{t_0}{t_{\text{BBN}}}\approx\frac{4.4\times10^{17}}{100}\approx4\times10^{15}\quad\Rightarrow\quad \ln\frac{t_0}{t_{\text{BBN}}}\approx 36$$

つまり \(c\cdot t=\text{一定}\) を額面通り受け取ると、BBN期から今までに \(c\) は比で「36」── 桁で言えば \(e^{36}\sim10^{15}\) 倍も変化したことになる。これを \(Q\) の走りに素朴に翻訳すると \(|\Delta Q/Q|\sim36=3600\%\)。

窓と、額面モデルの予言

BBNが許す窓:\(|\Delta Q/Q|\lesssim0.34\%\)
額面通りの \(c\cdot t=\text{一定}\):\(|\Delta Q/Q|\sim3600\%\)
→ 比にして約1万倍、窓を突き破っている。

\(Q\) が3600%も動いたら、\(\Delta\tau_n/\tau_n=-5\times36\approx-180\) で、5乗が完全に破綻する。初期宇宙の中性子は \(Q>0\)(崩壊できる条件)すら保てず、ヘリウムもリチウムも今の量で残らない。宇宙の姿が根本から変わってしまう。だから、\(c\) を額面で動かす \(c\cdot t=\text{一定}\) は、中性子とヘリウムによって明確に棄却される。陽子崩壊では \(10^{34}\) 年の彼方で永遠に裁けなかったモデルが、中性子では今日、はっきり有罪判決を受けます。

05でも、これは「予想通りの棄却」── 二つの読み方の分かれ道

ここで慌てないでください。この棄却は、番外編③④がずっと言ってきたことの当然の帰結であって、モデルの死ではありません。棄却されたのは「\(c\) を額面の物理として動かす」読み方 ── まさにVSLが踏んだ罠です。\(\Delta c/c\approx36\) を「\(\alpha\) や \(Q\) が本当にそれだけ動いた」と読むから死ぬ。

番外編④の等価条件②(\(\alpha\) 不変)で正しく読むと、話はまったく変わります。\(c\cdot t=\text{一定}\) の \(\Delta c/c\approx36\) を、\(\alpha\) を不変に保つ完全な単位の付け替え(ゲージ)として読むなら ── \(e,\hbar,\varepsilon_0\) が連動し、無次元比 \(Q/m_nc^2\) が動かない。すると \(c\) が座標上で \(e^{36}\) 倍変わっても、\(Q\) には一切伝わらず、中性子寿命もヘリウム量も寸分変わらない。BBNは何の異常も見ない。

c·t=一定 の読み方ΔQ/Q中性子寿命・ヘリウム量判決
VSL型
(c を額面で動かす、α が走る)
約 3600%
(窓の約1万倍)
寿命が完全破綻、ヘリウム桁外れ 棄却
ゲージ型
(α 不変の単位付け替え)
0% 寸分変わらない 無罪(ただし観測不能)
中性子に「第三の道」はない ── 5乗が残酷なほど鮮明にする 番外編③でVSLが夢見たのは「\(\alpha\) を少しだけ動かして観測に効かせる第三の道」でした。中性子崩壊は、この第三の道が存在しないことを、5乗の増幅で残酷なほど鮮明にします。\(Q\) が少しでも本当に走れば、5倍に増幅されて即座にヘリウム量にバレる。走らなければ完全に沈黙する。中間はない ── 有罪か、無罪かつ観測不能か。中性子は、VSLの「惜しさ」を実データで最終確認する証人なのです。
正直な線 ── 「棄却」が意味すること

誤解しないでほしいのは、棄却されたのは \(c\cdot t=\text{一定}\) という言い換え(ゲージ)そのものではなく、それを「宇宙で \(c\) が額面通り桁で変わっている」と読む解釈だけ、という点です。第1回から一貫して言ってきた通り、\(c\cdot t=\text{一定}\) は \(\alpha\) 不変のゲージとして読むぶんには完全に無傷 ── ただし、その読み方では観測に跡を残さない。中性子はそれを、5乗という最も敏感な増幅器で確認しただけです。

なお、ここで使った感度・窓の値(\(\Delta\tau_n=5\)秒 で \(\Delta Y_p=0.001\)、観測幅 \(\sigma(Y_p)\approx0.003\))は概算で、文献により多少幅があります。また \(Q\) を動かすには \(\alpha\) かクォーク質量差を動かす必要があり、原子時計(\(\dot\alpha/\alpha<10^{-19}\)/年)はBBNよりさらに桁違いに厳しい制約を、現在の走りにかけています。

練習問題(今回の式だけで解けます)
  1. 中性子崩壊率が \(\Gamma\propto Q^5\) のとき、\(Q\) が 2% 大きくなると寿命 \(\tau_n\) は何%変わるか。
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    \(\Delta\tau_n/\tau_n=-5\times\Delta Q/Q=-5\times2\%=-10\%\)。\(Q\) が大きいほど速く崩壊し、寿命は10%短くなる。5乗の増幅で、2%の差が10%の寿命変化になる。
  2. ヘリウム観測が中性子寿命に \(\pm15\) 秒(1.7%)の窓を許すとき、\(Q\) に許される窓は何%か。
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    \(|\Delta Q/Q|=|\Delta\tau_n/\tau_n|/5=1.7\%/5\approx0.34\%\)。5乗のせいで、寿命の窓より \(Q\) の窓は5倍狭くなる。
  3. \(c\cdot t=\text{一定}\) を額面で読んだときの \(\ln(t_0/t_{\text{BBN}})\approx36\) が、なぜ棄却を意味するか、窓の数字を使って一言で。
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    額面の \(|\Delta Q/Q|\sim36\)(3600%)は、BBNの窓 \(0.34\%\) の約1万倍。\(Q\) がそれだけ動けばヘリウム量が観測から桁で外れるため。ただし \(\alpha\) 不変のゲージとして読めば \(\Delta Q/Q=0\) で無罪。

第7回まとめ正直な証人が、シリーズの主張を最終確認した

中性子崩壊率は差 \(Q\)(0.782 MeV)の5乗で効く(サージェント則)。この5乗が中性子を「\(Q\) の変化を増幅する天然の証人」にする。138億年前のBBNは、初期宇宙の中性子寿命が今と \(\pm1.7\%\) 以内、\(Q\) が \(\pm0.34\%\) 以内で一致することを要求する ── これがヘリウム観測から出る実データの窓。

そこに \(c\cdot t=\text{一定}\) を積分してかけると、額面では \(|\Delta Q/Q|\sim3600\%\)、窓の約1万倍で突き破り、棄却。でもこれは番外編③④の予言通り ── \(\alpha\) 不変のゲージとして読めば \(\Delta Q/Q=0\) で無罪、ただし観測不能。中性子には「\(\alpha\) を少しだけ動かす第三の道」がなく、5乗がそれを残酷なほど鮮明にした。絶対値(\(c\))を額面で動かせば死ぬ、比(\(\alpha\))を守れば生きるが跡を残さない ── 第1回からの背骨が、最も正直な証人によって、実データで最終確認されました。

この文書は「わかる宇宙論」シリーズ第7回、物理好きの高校生・大学生向け読み物です。自由中性子の平均寿命(約880秒)、崩壊のQ値(\(Q=(m_n-m_p-m_e)c^2\approx0.782\) MeV)、崩壊率がQの約5乗で効くサージェント則、BBNのヘリウム質量比 \(Y_p\approx0.245\) と中性子寿命への感度(\(\Delta\tau_n\approx5\)秒 で \(\Delta Y_p\approx0.001\))は、確立した物理です。BBNから好ましい中性子寿命が \(870\pm16\) 秒級と評価されることも文献にあります。窓の数値(寿命 \(\pm1.7\%\)、\(Q\ \pm0.34\%\))は本稿の概算で、観測系統誤差や解析により幅があります。\(c\cdot t=\text{一定}\) の \(\ln(t_0/t_{\text{BBN}})\approx36\) は模式的な見積もりで、「額面解釈は棄却、\(\alpha\) 不変ゲージ解釈は観測不能」という結論の骨子を示すものです。\(Q\) の変化は \(\alpha\) やクォーク質量差を通じてのみ起こり、原子時計は現在の走りにさらに厳しい上限(\(\dot\alpha/\alpha<10^{-19}\)/年)を与えます。図は概念を示す模式的なものです。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで Q を動かすと、5乗で寿命が動き、ヘリウム量が観測窓を出入りします。「答えを見る」で解答が開きます。