わかる宇宙論第 6 回・前編 / ここから「まだ誰も知らない」領域へ

第2回で置いた伏線を回収する ── その 1/137 すら、実は固定値じゃなかった

1/137 は、動く数だった 「なぜ 1/137 なのか」に挑む前に、まず知るべきこと ──
1/137 は“見る細かさ”で変わる。だから問いは、少し違う形をしている。

必要な道具:第2回の α、割り算、グラフを読む α(見る細かさ) は一定ではない

第2回で、微細構造定数 \(\alpha\approx 1/137\) は「宇宙のどこの誰が測っても同じ、変わらない数」だと言いました ── そのとき、末尾の但し書きに小さな爆弾を仕込んでおきました。「実は \(\alpha\) は、見る細かさ(エネルギー)によって少しだけ値が変わる」。今回はその伏線を回収します。1/137 は、いちばん粗く見たときの値にすぎない。この事実は、「なぜ 1/137 なのか」という究極の問いの立て方そのものを変えてしまいます。ここから先、シリーズは初めて「まだ誰も答えを知らない領域」に足を踏み入れます。

01電子のまわりは、実は「かすんで」いる

電子はマイナスの電気を帯びています。ところが、電子の“すぐそば”を見ると、話はそう単純ではありません。量子の世界では、何もない真空にも、ごく短い時間だけ「電子と反電子(陽電子)のペア」がふっと現れては消える、というゆらぎが絶えず起きています。この現れたペアが、元の電子のまわりで向きをそろえて並び、まるで薄い衣のように電子の電気を少しだけ隠して(遮蔽して)しまう。

だから遠くから(=粗く)見ると、電子の電気はこの衣で少し弱められて見える。ところが、うんと近づいて(=細かく)見ると、衣の内側に入り込むので、隠されていない本当の、より強い電気が見えてくる。近づくほど電気が強く見える ── これが「電子はかすんでいる」の意味です。

つなぐ声(第3回の“解像度”) 第3回で「\(c\) は世界を見る細かさのツマミ」と言いました。今回の主役も“細かさ”です。粗く見る=遠くから=低エネルギー、細かく見る=近くまで=高エネルギー。粒子を細かく見るには高いエネルギーをぶつける必要があるので、「細かさ」と「エネルギー」は同じことの裏表です。

02だから α は「見る細かさ」で変わる

\(\alpha\) は電子の電気の強さを表す数(第2回の \(\alpha=e^2/4\pi\varepsilon_0\hbar c\)、\(e\) は電気の量)。電気が強く見えれば \(\alpha\) も大きくなる。前節の通り、細かく(高エネルギーで)見るほど電気は強く見えるので ──

α は「見る細かさ(エネルギー)」の関数

粗く見る(低エネルギー、ふだんの世界)→ \(\alpha \approx \dfrac{1}{137}\)
細かく見る(高エネルギー、\(Z\)粒子の重さ 約91 GeV あたり)→ \(\alpha \approx \dfrac{1}{128}\)

\(1/137\) と \(1/128\)。小さな差に見えますが、これは測定で確かめられた事実です。粒子加速器で電子を高エネルギーでぶつけると、確かに \(\alpha\) は \(1/128\) 側の、より大きな値になる。物理では、こういう「見る細かさで値が変わる量」を走る(running)結合定数と呼びます。定数なのに走る、という第4回・番外編でも見た“名前と実態のずれ”が、 here にもあります。

やってみよう ── どれくらい変わった?

二つの値を小数で

$$\frac{1}{137}\approx 0.00730,\qquad \frac{1}{128}\approx 0.00781$$

増えた割合

$$\frac{0.00781-0.00730}{0.00730}\approx 0.07 = 7\%$$

粗く見たときから細かく見たときへ、\(\alpha\) はおよそ7%大きくなった。「変わらない定数」どころか、見る細かさを変えるだけで1割近く動く。下の図で、エネルギーを上げていくと \(\alpha\) が育っていく様子を、実際に動かしてみましょう。

図:α は「見る細かさ(エネルギー)」とともに育つ。左端=ふだんの世界(1/137)、右へ行くほど高エネルギー
このエネルギーでの α ≈ 1/137.0
その細かさで見た α の値(1/α で表示)
つなぐ声(第2回の回収) 第2回で「\(\alpha\) は誰が測っても \(1/137\)」と言ったのは、正確には「いちばん粗く見たときの \(\alpha\) は誰が測っても \(1/137\)」でした。物差し(単位)を変えても \(1/137\) は動かない ── これは今も正しい。でも“見る細かさ”を変えると動く。単位で動かないことと、細かさで動くことは、別の話だったのです。
◇ ◇ ◇

03だから「なぜ 1/137 か」は、問いの形が変わる

ここが前編の結論です。\(\alpha\) が見る細かさで動くのなら、「なぜ \(\alpha\) は \(1/137\) なのか?」という問いは、少し素朴すぎたことになります。\(1/137\) は「ふだんの粗い世界での値」という、たくさんある値のうちの一つにすぎないから。正しく問い直すと、こうなります。

問いの立て直し

× 「なぜ \(\alpha\) は \(1/137\) なのか」
○ 「\(\alpha\) が細かさとともにどう走るか(走り方のルール)と、それをある一点で固定する値は、どこから来るのか」

つまり本当に問うべきは、たった一つの数字ではなく、「走り方」そのもの。値は細かさで変わるけれど、「どういうルールで変わるか」は、その細かさによらない、もっと深いもの ── そここそが「変わらない本質」の候補です。第1回からこのシリーズが繰り返してきた「単位や見方で動く表面の値ではなく、その裏にある不変な構造こそが物理」という考えが、\(\alpha\) の謎の入口でも、そのまま効いてくる。

正直な線 ── ここから先は、誰も答えを持っていない

\(\alpha\) の「走り方のルール」は、理論(場の量子論)から計算できます。そこは分かっている。でも、その走り方をある一点で固定する値そのものが「なぜその値か」は ── まだ誰も答えを知りません。かつて偉大な物理学者エディントンが \(137\) を理論だけから導こうとして失敗して以来、100年近く未解決のままです。

このシリーズはここで初めて、「わかる」の外側に出ます。でも収穫はありました ── 問いを「なぜ 1/137 か」から「走り方と、その固定点はどこから来るか」へと、正しい形に立て直せた。良い問いは、答えの半分です。

練習問題(今回の値だけで解けます)
  1. 高エネルギーでの \(\alpha\approx 1/128\) を小数(有効数字3桁)で表せ。
    答えを見る
    \(1\div 128 \approx 0.00781\)。第2回の \(1/137\approx0.00730\) より大きい ── 細かく見るほど電気が強く見えるから。
  2. 「走る結合定数」を、第4回・番外編に出た“名前と実態のずれ”の言葉で一言説明せよ。
    答えを見る
    「定数」と呼ばれているのに実際は見る細かさ(エネルギー)で値が変わる量。ハッブル“定数”が時間で変わったのと同じで、名前より定義・中身を見るべき例です。
  3. 「なぜ 1/137 か」という問いが素朴すぎる理由を、今回の内容から1文で述べよ。
    答えを見る
    \(1/137\) は「粗く見たときの値」にすぎず、細かさを変えれば値も変わるから。問うべきは単一の数字ではなく、値の“走り方”とそれを固定する仕組みのほう。

前編まとめ不動の数ではなく、走る量だった

真空のゆらぎが電子の電気を薄く隠すため、細かく(高エネルギーで)見るほど電気は強く見え、\(\alpha\) は \(1/137\) から \(1/128\) へと約7%育つ。\(\alpha\) は「見る細かさで変わる、走る量」だった ── 第2回の但し書きに仕込んだ伏線の、正体です。

だから「なぜ \(1/137\) か」は問いとして素朴すぎた。正しくは「走り方のルールと、それを固定する値はどこから来るか」。値は動くが、走り方は深い ── このシリーズが一貫して探してきた「表面ではなく、その裏の不変な構造」が、\(\alpha\) の最大の謎の入口にも、ちゃんと顔を出していました。良い問いに立て直せたところで、前編を閉じます。

この文書は「わかる宇宙論」シリーズ第6回・前編、物理好きの高校生向け読み物です。真空偏極による電荷の遮蔽と、それに伴う微細構造定数の「走り(running)」は確立した物理で、\(\alpha^{-1}\approx137.0\)(低エネルギー極限)から \(\alpha^{-1}\approx128\)(\(Z\)ボソン質量スケール ~91 GeV)への変化は測定されています。図は走りの概念を示す模式的なもので、実際の走りは対数的かつ荷電粒子の種類に依存します。「なぜ \(\alpha\) がその値をとるか」は現代物理の未解決問題です。 ── 印刷する場合はブラウザの「印刷」から「PDF に保存」を(印刷版ではスライダーと解答は静止・非表示になります)。

印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーでエネルギーを上げると α が育ちます。「答えを見る」で解答が開きます。