前回:原子の中の 1/137(=v/c)→ 今回:その v/c をゼロにしたら何が起きる?
前回、水素原子の電子は光速の \(1/137\)、つまり \(v/c=\alpha\) で回っていると分かりました。この \(v/c\) は「相対論がどれくらい効くか」の目盛りでもあった。今回はそこから一歩進めて、こう問います ── もし光速 \(c\) が無限大だったら? そのとき \(v/c\) はゼロになり、相対論の効果が全部消える。すると残るのが、高校でも名前を聞くシュレディンガー方程式、量子力学のいちばん基本の式なのです。「シュレディンガー方程式は、光速を無限大にした世界のルール」── これを、なるべく式で確かめます。
アインシュタインの相対論では、速く動く物のエネルギーはこう書けます(有名な \(E=mc^2\) を、動いている場合に広げた式)。
\(m\) は質量、\(p\) は運動量(ざっくり「勢い」、\(p\approx mv\))、\(c\) は光速。ここで注目してほしいのは、\(c\) が入っているのが \(\dfrac{p}{mc}\approx\dfrac{v}{c}\) の形だということ。つまり相対論の効果は、いつも「速さ \(v\) と光速 \(c\) の比」を通じて入ってくる。前回の \(v/c\) が、ここでも主役です。
もし \(c\) がとても大きければ \(v/c\) はとても小さい。小さい数の2乗はもっと小さい。だから \(\left(\dfrac{p}{mc}\right)^2\) は、\(c\) が大きいほどゼロに近づく ── この「小さいものを無視する」操作が、相対論を消す鍵になります。
上のエネルギーの式を、\(v/c\) が小さいときの近い形に開きます。数学で \(\sqrt{1+x}\) は、\(x\) が小さいとき \(1+\dfrac{x}{2}\) にとても近い、という便利な近似があります(テイラー展開の一歩目)。これを使います。
近似 √(1+x) ≈ 1 + x/2 を、x = (p/mc)² に使う
$$E = mc^2\sqrt{1+\left(\frac{p}{mc}\right)^2} \approx mc^2\left(1+\frac{1}{2}\left(\frac{p}{mc}\right)^2\right)$$中を展開する
$$E \approx mc^2 + \frac{1}{2}mc^2\cdot\frac{p^2}{m^2c^2} = \underbrace{mc^2}_{\text{静止エネルギー}} + \underbrace{\frac{p^2}{2m}}_{\text{おなじみの運動エネルギー}}$$きれいに2つに分かれました。前half の \(mc^2\) は、止まっていても持っているエネルギー(あの \(E=mc^2\))。後half の \(\dfrac{p^2}{2m}\) は ── \(p\approx mv\) を入れると \(\dfrac{1}{2}mv^2\)、中学・高校でおなじみの運動エネルギーそのものです。相対論のエネルギーの式から、見慣れた運動エネルギーが顔を出しました。
ここで \(c\to\infty\) の意味がはっきりします。もっと細かい相対論の効果は \(\dfrac{1}{c^2},\dfrac{1}{c^4},\dots\) という「\(c\) の大きなべきで割った項」として続いていく。\(c\) を無限大にすると、それらは全部ゼロに落ちて、残るのは静止エネルギー \(mc^2\) と運動エネルギー \(\dfrac{p^2}{2m}\) だけ。この \(\dfrac{p^2}{2m}\) こそ、シュレディンガー方程式の心臓部です。
量子力学では「エネルギーの式」を、波の言葉に書き換えると方程式になります。細かい書き換えのルールはここでは踏み込みませんが、要点はこれだけ ── エネルギーの中身が何であるかで、出てくる方程式が決まる。
エネルギーが \(mc^2 + \dfrac{p^2}{2m}\)(=相対論を消した形)なら → シュレディンガー方程式。
エネルギーが元の \(mc^2\sqrt{1+(p/mc)^2}\)(=相対論そのまま)なら → 相対論的な方程式(ディラック方程式など)。
つまりシュレディンガー方程式は、「\(c\to\infty\)、相対論を消した」量子力学。世界を「光がいくらでも速い、のっぺりした近似」で見たときのルール。逆に、光速が有限だと認めて細かく見ると、相対論的な方程式に格上げされる。前回チラ見せした通り、\(c\) は「どれくらい細かく世界を見るか」のツマミなのです。
今回の主役は「\(c\to\infty\) で相対論が消える」でしたが、この「あるものを極端にすると、細かい効果が消えて単純な世界が残る」という考え方は、物理の至る所に出てきます。いくつか同じ顔ぶれを挙げておくと ──
光速を無限大にすると相対論が消えてニュートン力学が残る。プランク定数 \(\hbar\) をゼロにすると量子のゆらぎが消えて、やはり古典力学が残る。速さが遅ければ空気抵抗が消えて、放物線の運動が残る。どれも「あるツマミを端まで回すと、細かい項が落ちて、見慣れた単純な法則が姿を現す」という同じ構造です。複雑な理論のほうが本物で、単純な理論はその“粗く見た姿” ── この順番を知っていると、物理がぐっと見通しよくなります。
「\(c\to\infty\)」は頭の中で行う極限で、現実に光速が無限大になるわけではありません。現実の \(c\) は有限なので、シュレディンガー方程式はいつでも近似 ── 遅い電子にはとてもよく効き、光速に近い電子(重い原子の内側など)ではズレが無視できなくなり、相対論的な式が必要になります。「単純な式は、正確な式を粗く見た姿」だと覚えておけば十分です。
相対論のエネルギー \(mc^2\sqrt{1+(p/mc)^2}\) を、\(v/c\) が小さいとして開くと、静止エネルギー \(mc^2\) と、見慣れた運動エネルギー \(\dfrac{p^2}{2m}\) に分かれた。この \(\dfrac{p^2}{2m}\) がシュレディンガー方程式の心臓部で、\(c\to\infty\) で細かい項を全部落とした姿こそ、量子力学のいちばん基本の式でした。
そして捨てた項は消えてなくなったわけではなく、\(\alpha^2\) の大きさで「微細構造」として戻ってくる。\(c\) は世界を見る細かさのツマミ、\(\alpha\) はどの細かさで相対論が顔を出すかの目盛り ── 第1回・第2回・第3回が、この一本の考えでつながりました。
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