第2・3回:日常の力は電磁気 → 第4回:そもそも“力じゃない力”がある
ここまで「押す・摩擦・張力」の正体は電磁気だと剥がしてきました。今回は毛色が変わります ── そもそも“力”ではない力の話。カーブする車で外へ振られる遠心力、電車の急発進で後ろに押される感じ、台風を渦巻きにするコリオリ力。どれも確かに感じるのに、押し返す電子雲もなければ、担い手の粒子もない。第1回で予告した「\(F=ma\) の足場は座標に依る」を、ここで回収します。これらは座標を回した(加速した)せいで湧いて出る帳尻で、座標を選び直せば跡形もなく消える。これが、このシリーズの「力を消す」というテーマの始まりです。
回るメリーゴーラウンドの上で、あなたは外へ引っぱられる(遠心力)と感じます。でも外から(回っていない地面から)見ると、話はまるで違う。あなたは本当は真っ直ぐ進みたいだけ(慣性)。それを手すりや床が内向きに引き留めている。外向きの力なんて、どこにも働いていません。
回らない座標(慣性系)で見れば:物体は真っ直ぐ進もうとし、実在の力(手すり・道路)が内向きに引く。外向きの力は無い。
回る座標で見ると:物体が外へ逃げるので、\(F=ma\) を成り立たせるために外向きの「遠心力」を書き足す。これが座標の帳尻=見かけの力。
下の図で、回る円盤の上で手を離したボールを、二つの視点で同時に見てください。左(地面から)では真っ直ぐ。右(円盤の上から)では外へ曲がって逃げる。同じ運動が、座標のせいで別の顔に見える。
慣性力(遠心力・コリオリ力)が「本物の力ではない」ことには、はっきりした見分けの印が二つあります。
① 相手(反作用のペア)がいない
本物の力は必ずペア(第1回・作用反作用)。でも遠心力には「押し返している相手」がいない。ペアのない力は、実在の力ではない印。
② 質量に比例して、みなに同じ加速を与える
見かけの力は必ず「\(m\times\)(座標の加速度)」の形。だから重い物も軽い物も同じように振られる。電磁気力(電荷しだいで効き方が変わる)とは、ここが決定的に違う。── この②が、次回の重力の伏線です。
要するに慣性力は、\(F=ma\) を加速する座標の上でも無理やり成り立たせるために足す補正項 \(-m\vec{a}_{\text{座標}}\)。座標の加速をやめれば(慣性系に戻れば)、この項は消える。実在の力は座標を変えても消えない。見かけの力は、座標で消える。 これが両者を分ける、いちばん本質的な線です。
第4回の結論。力には、電磁気のように座標を変えても消えない本物と、遠心力のように座標の付け替えで湧いたり消えたりする見かけの二種類がある。見かけの力は「モノ」でも「関係」でもなく、加速する座標を選んだことの帳尻。第1回で「\(F=ma\) の足場(慣性系)は選び方に依る」と留保したのは、このためでした。
実在の力(電磁気・重力・強・弱):座標を変えても消えない…はず。
見かけの力(遠心・コリオリ・電車の慣性力):座標の加速で湧き、慣性系で消える。
── ところが次回、この境界線が揺らぎます。重力は、どっち側なのか?
「見かけの力」という呼び方は、実在しない・無視してよい、という意味ではありません。回る座標の上で暮らす限り(地球も回っています)、遠心力・コリオリ力は運動を実際に左右し、計算に入れないと答えを間違えます。台風の渦、フーコーの振り子、砲弾の軌道 ── みな現実の効果。「実在の相互作用ではない(座標で消せる)」だが「その座標では確かに効く」、この二つは両立します。
図は摩擦・重力を無視した理想化(手を離すと慣性で直進)で、遠心力とコリオリ力を分けずに「回転系での曲がり」としてまとめて見せています。
遠心力・コリオリ力は、押し返す電子雲も担い手もない“力じゃない力”。地面(慣性系)から見れば、物体は慣性で真っ直ぐ進み、実在の力が内向きに引くだけ。回る座標で \(F=ma\) を無理に成り立たせるための補正項 \(-m\vec a_{座標}\) が、見かけの力の正体。だから座標を選び直せば消える ── 実在の力(電磁気など)は消えないのに。
見分けの印は「反作用のペアがない」「質量に比例して皆に同じ加速」。この二つ目が次回の急所です。重力もまた、質量に比例して皆に同じ加速を与える ── ならば重力も、座標で消せる“見かけの力”なのでは? 力を消すというテーマは、こうして最大の獲物・重力へ向かいます。
印刷 / PDF 化:⌘+P(Windows は Ctrl+P)。画面ではスライダーで、同じ運動が二つの座標で別の顔になる様子が見えます。「答えを見る」で解答が開きます。